ドバイにいても、思い出のパリ10区。
人生初の一人暮らしを始めた街、パリ10区。
不思議な中年おじさんとのルームシェアから始まり、私のフランス生活のスタート地点。そして自分の人生を大きく変えるきっけになった大切な街。
<10分間の思い出>
映画アメリでも有名なカナル サンマルタン。
毎朝8時過ぎにこの橋を渡り、学校へ向かう。
最寄り駅まで急ぎ足で歩いて約10分、この10分間の道のりが私にとっては一番の思い出。
フランス人の知り合いもいないし、日本人の友人だって一人もいなかった。まさに孤独感を一番強く感じるのが朝だった。人通りの少ない朝のサンマルタン運河を左手に、少し怪しい近道を抜けて、そこに見えてくるのはパリ東駅。
<パリの朝の香り>
駅構内を抜け、改札に向かう途中、PAULから匂ってくる朝の香り。
パリの朝の始まり。この頃は朝の混み合うパン屋でコーヒーやクロワッサンをかっこ良く買える勇気がなかったから、いつかパリジャンに混じってUn caféとun croissantを買おうと心に決めていた。
毎朝この駅から4番線に乗り、パリ6区のSaint-Sulpice駅まで15分。
毎朝きちんとメイクをして、コーディネイトされた服を着て。この頃はまだ東京気分が残っていた時期。本当はそんなに素敵なファッションしなくていいのにパリで。
<もどかしい学生生活>
4番線のSaint-Sulpice駅。
モンパルナスタワーを遠目にレンヌ通りを少し歩いて、思い出の裏道、Rue Cassetteへ。
ここを通る度に語学学校での日々を思い出す。
楽しかった日、テストの点数が悪かった日、授業が長かった日、英語が流暢なヨーロッパやアメリカ人達に距離を感じた日。いろいろな気持ちと共に歩いた思い出の道。
それでも、やっぱりパリに戻ったらここを歩きたい。
こちらが正面玄関側のRue d'assas。
カトリック系の私立大学なので、留学生以外にも一般のフランス人生徒もいるキャンパスライフ。
<現実のパリと夢の時間>
最寄りのメトロ2号線、Colonel Fabien。
治安があまりいいとは言えないエリアに住んでいたので、いつもこの駅を使う時は急ぎ足で。
もう一駅、アパートから5分程の所にある7番線のLouis Blan駅。この線は便利で日本人街のピラミッドにも一本で行けるし、4番線の乗り換えもできるからよく利用していた。
ルームシェアのアパートがあった所。
夜になると低収入層のオアシスに。ipodを盗まれたのもこのアパートの直ぐ下だったし、パリでも一本裏の道は世界が違う。日本で海外保険に加入していてよかった。ほぼ全額返金。
そんな思い出がありながらも、今の主人と再会した大切な場所でもある。南仏から私に会いに来てくれた彼は当時22才。私は31才。一度しか面識がなかったのに、テレパシーでパリまで来てくれたんだよね。ありがとう。
<英語でも理解できない>
近所のCafé des Dames。
ルームシェアのおっさん、よくコニャック飲んでたな〜。
たいした会話もできないのに、時々このカフェで一緒に食事をしたり、お茶をしたり、パリの日常を私なりに感じていたのかな。まだこの頃は注文を聞かれてもよく分らなかったし、デザートは今?それとも後にする?なんて言われても?って状態だった。いくらおっさんが英語で説明してくれてもイマイチ自分の頭で整理ができなかった数々のフランス語が今は分るんだな〜。これって語学の醍醐味じゃない?
「デザートだけなら、相手の料理とat the same time?」をフランス語で聞かれて答えられなかったあの夜だよ。
パリ10区編終わり。